「複製された男」から見る難解な映画
世の中には難解な映画が数多くある。
例えば、「複製された男」もその一つだ。僕自身、見終わった後、何一つわからなかった。
この記事は、もちろん難解な映画の解釈も含むが、難解な映画とは?という広い話も提示できたら、と思う。
なお、この記事はネタバレを含みますので、まだの方は見終わってから読むと良いです。ちなみに、Netflixで見れます。
基本的な解釈
まず、前提としてこの「複製された男」というタイトルはフェイクである。
洋画が日本に来る時に変な和訳を付けられることがある。この映画の原題は"ENEMY"である。
主人公は大学教授のアダム、自分とそっくりな俳優のアンソニーを見つけるところから話は始まる。
この二人こそがENEMYであり、アダムから見たアンソニーであり、アンソニーから見たアダムである。
ネット上の解釈では、このそっくりな二人は同一人物であるという解釈が主流なようだ
ジキルとハイドのような二重人格ではなく、この映画そのものが心象風景を描く手法のため、現実と夢の境目が曖昧な作品だと言える。
そう考えてみれば、納得できる箇所は多く存在する。
また、映画の中で度々出てくる蜘蛛も、何かの暗示と捉えられるだろう。
途中で出て来る蜘蛛は明らかにルイーズ・ブルジョワの「ママン」を意識しているだろう。六本木にある大きな蜘蛛の像といえばピンとくる人も多いと思う。
ママンという名前の通り、蜘蛛は映画の中で母親の象徴である。
この映画を見る上でのキーワードは、「人間の二面性」「映像は必ずしも真実ではない」「母親」ではなかろうか。
詳細な解説は、以下のリンク先に詳しくまとまっている。
映画に登場するビル群とそれが指すもの
この映画のもう一つの特徴は、映像で不気味に映るビルなどの建築物だ。
例えば、うねるような外観の高層ビル、アブソリュートタワーだ。
このビルは別名、マリリンモンロービルと呼ばれている。
その理由はビルのシルエットが女性の柔らかさに見えるからである。
この映画には、このビルのカットが多く出てくる。
これは、女性がこの映画にとってキーになるからではないか。
蜘蛛=母親の象徴ということを踏まえると、母親になろうとする女性(ヘレン)と母親になれない不倫してしまう女(メアリー)の対比も見えてくる。
難解な映画の謎解き
大半の「難解」と言われる映画は、解釈を観客にゆだねるスタイルである。つまり、正解が示されない。
これは、「難解」というよりも自由に考えられる映画だと捉えることもできるのではないだろうか?
コナンくんのように真実は一つと明らかにすることも重要だが、多様な解釈ができる映画もまた魅力的だと思う。
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BIGMAMAのボーカルはなぜ王子なのか?
音楽を熱狂的に愛しているまちだねこです。
BIGMAMAというボーカル、ギター、ベース、ドラム、バイオリンからなる5人組ロックバンドがいます。通常のロックバンドとの違いは、やはりメンバーにバイオリンがいることです。しかし、今回はそういうバンドの形だけの話ではなく、BIGMAMAのライブやファンについて書いていきます。
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BIGMAMAのライブで歌うこと=「オタ芸」
彼らのライブの特徴は一体感を生み出すことです。
分かりやすいのは、"until the blouse is buttoned up"という曲におけるタオル上げです。この曲のイントロで、フロントマンの王子こと金井はタオルをあげるように観客に促します。フェスであれば、どんなアーティストのタオルでもいいからともかく挙げろと言います。これにより観客ほぼ全員がタオルを挙げるという同じ行為をさせることで観客に一体感を生み出します。フェスは一体感を楽しむ場所で体験の場所と言われるはるか昔からBIGMAMAが意識的にやってきたライブでの作法です。
もう一つ、BIGMAMAのライブにおける一体感を生み出す仕掛けを用意しています。それは、お客さんが歌うパートがあることです。これは何もBIGMAMAのライブに限らず、多くのライブで見られることです。例えば、アイドルで考えれば分かりやすいでしょう。アイドルにはヲタ芸があります。あのヲタ芸は、アイドルを応援する意味はもちろんのこと観客も一体となることで、アイドルと観客相互のメリットを生み出しています。アイドルの現場でファン同士が親密であるのは、このオタ芸によりライブという体験を共感しているからです。
これと同じことが、BIGMAMAのライブでは、歌うという行為を通じて起こっています。先に挙げた、"until the blouse is buttoned up"は、CDでの原曲と異なり、イントロを観客が歌うことで初めて完成する構成にライブVerではアレンジされています。つまり、客が歌うことでその曲が初めて完全な形になるのです。
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BIGMAMAとファンで作る王国
ボーカルの金井は、王子と呼ばれています。先程まで書いてきたようにBIGMAMAは一体感を意識したライブづくりをしてきました。つまり、王子がいるということは、ファンは王子を取り囲む国民となります。
そんな構図でBIGMAMAは、先のフェスでのタオル上げも含め、音楽業界で少しずつ自分たちの領土を広げて来ました。BIGMAMAのメインファン層はおそらく今、20代だろう。ただ、今の10代やさらに上の世代まで届くような可能性を、クラシックを取り入れたりさまざまな工夫を行ってきた彼らは持っていると思います。
彼らは2017年、武道館を行ます。これから新しいアルバムや武道館を通じて、どのようにこの王国の領土を拡張していくのか、注目していきたい。
Mirrazのぼなぺてぃ!!!、おいしくいただけるのか?
先日、The Mirrazは、『ぼなぺてぃ』というアルバムをリリースした。
アルバムタイトルは、フランス語の"bon appetit"からきている。
意味は、『たくさん召し上がれ』『美味しく召し上がれ』『食事を楽しんで』である。
このアルバムから見て、Mirrazの今、そしてアーティストが歌詞を解説することについて書く。
現在のMirrazは美味しくいただけるのか?
以前、こんなことをブログに書いた。
歌詞はミイラズ特有の同じ言葉の繰り返しや個人的内容が戻ってきているような印象がある。だからこそ、音楽性は変化し続けても、本質的な魅力は失われていないと考える。
今回のアルバム、『ぼなぺてぃ!!!』は、まさに畠山の個人的な思いが全面に押し出されている。2曲の「世の中クソ!」なんて、タイトルからしてそうだ。
ただ、先のブログを書いたときよりも、なんだかこのことに対して半分嬉しくもあり、半分もやもやした気持ちを抱えている。
個人的なことにしかなっていない気がするのだ。
例えば、ハッピーアイスクリームでは、以下のような歌詞が出てくる
僕の目は君の顔見るためにあるように
君の耳は僕の声を聞くためにあるように
僕の両手は君を胸に抱くために
君の両足は僕に会いにくるために そんな風にあるといいな
引用:http://the-mirraz.com/?p=10288
これは畠山自身の妹について書いた曲だと言っているが、現状の理解から次への希望、自分がこうだったらいいなという欲望がつまっている。
もしかしたら向上心とかいう言葉でまとめられるかもしれないが、そういうきれいなものじゃなくてミイラズの場合、欲望という方が正しいだろう。
この欲望にこそ魅了されてきた。
その欲望が、今回アルバム『ぼなぺてぃ!!!』の曲たちには少し見えにくい気もするのだ。
もちろん、すべての曲がダメだ!というわけではない、実際、過去の曲たちにもそういう現状に中指を立てる曲は多くあった。
ただ、とても漠然とした感想ではあるが、次の何かを見つけることがThe Mirrazとしても見つけられていない気がする。
だから、こう捉えることにした。
今回のアルバムは現状の精算である。
つまり、今はこういう現状だから、これを「たくさん召し上がれ」で食べて、消化して、排泄することで、次の栄養が生まれるのかもしれない。
ベストアルバムが彼らの歴史を示すものであり、今回のアルバムは現状を表す。
そう考えると、赤裸々に書かれた歌詞がまた違って見えてくるのかもしれない。
アーティストが行う全曲解説
最後に少しだけ違う角度の話を書く。
今回のアルバムについて、全曲解説を畠山本人がInstagramでやっている。
https://www.instagram.com/p/BQU4fYqjfvd/
アーティストが自身の曲を全曲解説することは、なにも珍しいことではない。今までも音楽雑誌で行われてきた。それはあくまでこの曲に興味を持ってねという意味合いが多かった。要するに販売促進だ。
ただ、作家が作品を語ることは、作品の解釈の多様性を許さなくしてしまう可能性をはらんでいると言いたい。
簡単に言えば、アーティストが言うことが100%正しくて、それ以外は全て間違ってる、アーティストマジ神みたいなことだ。
就職活動である自己PRをうまくできる人がどれだけいるだろうか?
つまり、みな自分のことはよくわからない。
説明できることもあるし、その説明できることを超えたものを生み出している可能性もある。
だから、あまりアーティストの全曲解説だけを信じるなと言いたい。
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2016年公開の映画まとめ(後半)
2016年は、映画が久々に話題になった年だろう。
今回後編として、「シン・ゴジラ」「君の名は。」「この世界の片隅に」というヒット作についてまとめてみる。
シン・ゴジラ
今年の2大映画と言えば、「シン・ゴジラ」と「君の名は。」であろう。
この「シン・ゴジラ」の魅力はさまざまな議論に耐えうることであろう。例えば、「震災映画としてのゴジラ」「防衛シミュレーションとしてのゴジラ」「特撮映画としてのゴジラ」「日本映画としてのゴジラ」などなど。
庵野秀明の過去の作品もそうだ。「エヴァ」や実写映画である「監督失格」などを含め、さまざまな議論を呼ぶ。
「エヴァ」はTV版、旧劇、新劇場版などさまざまな展開が存在するにも関わらず、それぞれでかなりの数の解釈が存在する。
あまり有名ではないが、実写映画の「監督失格」は亡くなったAV女優のドキュメンタリーを当時、彼女と不倫していたAV監督が作成する過程を追った作品だ。その中で、「彼女が亡くなった」という現実と「ドキュメンタリー」というある意味虚構とも言えるものの構図をすでに示している。これが、「シン・ゴジラ」における「現実VS虚構」にもつながる話ではないか?と思える。
まだ、見ていない方は是非見ると、シンゴジラ並の衝撃を受けること間違いないです。
ちなみに、ユリイカという雑誌(正確にはムック)のシン・ゴジラ特集にもさまざまな専門家からの論評が書かれているので、オススメです。
君の名は。
「君の名は。」について、過去のブログを読むと分かると思うが、わりと悲観的に見ていた。それは、過去作のが優れているし、好きだという個人的な意見に起因している。
けれども、震災という切り口で「君の名は。」を語ることには有意義ではないか。
過去記事にも書いたが別の切り口で書くなら、この作品は今忘れ去ろうとしている震災を本当に忘れていた少年が、少女と会うことで少女を救うという個人的な目的のために震災を思い出すという話にも見える。
つまり、「震災」という大きなくくりで考えるよりも、「個人の物語」にしない限りは忘れてしまうし、真剣に考えることはないというとてもシニカルな映画なのではないか、とも思う。
この世界の片隅に
今年最後の重要作品である「この世界の片隅に」。クラウドファンディングによる映画制作により徐々に口コミにより現在も上映館を増やしつつある。
戦争アニメ映画として「火垂るの墓」がある。火垂るの墓は戦争の戦いを中心に描く作品である。それに引き換え、「この世界の片隅に」は、日常の中で戦争に徐々に突入していく様子を示している。その様子は今年公開の映画「帰ってきたヒトラー」にも通ずる物がある。
2016年という戦後70年になって、やっと戦争というものを「ひどい」「かわいそう」という感情論ではなく、日常から忍び寄るものだという作品が注目を集め、描かれ始めてきた気がする。それだけでも、この映画には価値があるものなのではないかと思う。
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2016年まとめ
以上、今年見た映画をパっとまとめてみました。もちろん見れていない映画や過去作もさまざま名作がある。ただ、今年公開の映画を今年見るということは、その作品だけでなく、見た人の反応などに時代性を把握するのにものすごく重要なことだと思っている。
今、他の人が、何を、考えているのか?
それが分かることが映画館でやっている映画を今年見ることの意義ではないかと思う。
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2016年公開の映画まとめ(前半)
2016年は映画やドラマ、アニメが盛り上がった年と言える。
それは「君の名は。」のようなアニメから、特撮の「シン・ゴジラ」、ドキュメンタリーの「FAKE」などジャンルなど関係ないかのようにヒットが連発した。
公開となった映画について、年代順に振り返ってみる。
レヴェナント:蘇りし者
レオナルドディカプリオがやっとアカデミー賞を取れた作品である。
この作品は、レオ様がここまでやらないと行けないのかというくらい悲惨な状況になるが、屈強な肉体がそれを乗り越えるというアメリカ的な強さが描かれている。
これは、今年の大事件であるトランプ大統領爆誕と大きく関係がある。詳細は以下の過去記事を参考に。
また、来年以降、トランプ自体が新たなスーパーヒーローになれるのか、それともマッチョなスーパーマンにしかなれないのか、というのは注目どころだ。
ズートピア
本作は、動物世界の多様性を比喩的に見せることで、人間社会多様性の訴える作品である。
けれども、ここで注目したいのは、ストーリーよりもディズニーという子供向けのアニメを作っていた会社が、本作では明らかに大人を意識した作品を作ってきた。
先進国が高齢化社会と言われる中で、子供向けの作品を作るよりも大人向けのビジネスに転換するのは当然の流れである。これは、スター・ウォーズというコンテンツをディズニーが買ったことにもつながる。
子どもにはキャラクターが可愛ければストーリーとかどうでもいいでしょ?というような思考が見えるような気もするが、ディズニーは今後この路線で行くのか、来年以降も注視していきたい。
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リップヴァンウィンクルの花嫁
本作は岩井俊二監督最新作である。
岩井監督といえば、少女漫画的な映画だと言われる事が多い。
本作でも女性同士の友情とも恋愛とも見れるような世界観が繰り広げられる。
深夜アニメなどで取り上げられる百合要素は、どちらかと言えば男性視聴者向けのご褒美的意味合いが強い。けれども、本作の二人の関係は同性間の友情の延長として恋愛関係に至る。
ただ、この作品の一番の魅力は「恋愛のようなもの」に徹するところであり、あいまいな関係こそが儚く美しいという感覚がずっとある。
同じく、 今年は「キャロル」や「リリーの全て」など同じくLGBTについて扱った作品があるので、本作と見比べるのも面白いだろう。
帰ってきたヒトラー
「もしヒトラーが現代に復活したら?」というフィクションと、実際に街頭インタビューやネオナチへのインタビューというドキュメント的な側面を持つ作品だ。
本作は原作の小説を元に映画化されたものだが、単に作品をそのままなぞって映像化するだけではない。
小説の主張を強めるためにドキュメント部分が存在し、新しい小説の映像化の可能性を見られる作品でもある。
また、過去にも少しだけ違う観点から書いたので参考までに。
FAKE
こちらはオウム真理教やミゼットプロレスなどタブーと言われるものを撮り続けてきた森達也監督の最新作である。被写体は、世間を賑わせた佐村河内守。
佐村河内守への密着が元になっているが、果たしてドキュメントとは相手の気持を考えて、相手を支援するような映像を撮るものなのか、はたまた相手を非難する映像を撮るものなのか、という疑問を投げかける作品でもある。
「中立な報道」という言葉はこの映画を見た後では決して言えなくなる。
後半は、「シンゴジラ」「君の名は。」「インフェルノ」「この世界の片隅に」について書きます(予定)