サブカル備忘録

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昔のクリープハイプはよかった?

 

あのバンドはもう終わった。なぜ終わった?

邦楽ロックというジャンルにハマっている人たちの話を聞くと、「昔はよかった」「メジャーになった直後はよかったが今はよく知らない」ということを多々耳にする機会がある。

クリープハイプもそう言われるバンドの一つだ。彼らはインディーズ時代、「He is mine」という曲の中の「今度あったら、セックスしよう」というフレーズで注目を集め、Voの尾崎世界観のハイトーンボイスや「世界観」という名前に代表されるようにその世界観が評価され、メジャーデビューし、今に至る。


クリープハイプ 「HE IS MINE」

 

この尾崎世界観という名前はもちろん本名ではない。彼の作る楽曲に対していろいろな人する「歌詞の世界観がいいですね」という褒められ方を嫌い、そう言われないように尾崎世界観と名前をつけたらしい。ここからも分かるように彼は反骨精神というか。なにかにムカついていることが多い。それこそが楽曲の機動力であり魅力であった。しかし、近年はそれが失われたと言われる。「尾崎も丸くなった」という話も聞く。確かに僕自身もそう思う。

クリープハイプというバンドは、いや尾崎世界観は過去を消費して歌詞を書いている気がする。もちろん「社会の窓」のように現状に対する反抗を扱ったものもある。しかし、やはりその歌詞の根底にあるのは、過去のムカついたバイトの経験や風俗嬢との思い出などそういうものだ。

 

「裕介」と「しんのすけ

最近、尾崎は「裕介」という本を出した。裕介というのは尾崎の本名に由来している。この中でかつてのクリープハイプ尾崎世界観自身の体験について語っている。この本は、「裕介が世界観になるまでの物語」という紹介がなされている。

しかし、これは「今、尾崎世界観が尾崎裕介に憧れている物語」だと思う。つまり今の世界観は、過去の世界にノスタルジー以上の憧れを抱いている気がしてならないのだ。つまり、この本を読むと明らかに尾崎は昔に戻りたがっている。

祐介

祐介

 

 

クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ!オトナ帝国の逆襲という映画がある。あらすじは、21世紀の日本を良しとしない悪の組織が、大阪万博など未来に対して希望を抱いていた時代(20世紀の日本)に戻そうと試みる。それをしんのすけ一家が食い止めるという話である。

この中で印象的なシーンとして、しんのすけが走るシーンである。走るし走るし走る。悪を倒すためにひたすら走るしんのすけの原動力は、先行きがわからなくても新しい未来に進もうとする希望である。この映画の背景としては先行きが不透明な「失われた10年」と呼ばれるバブル以降の雰囲気がある。その中でも未来を見捨てないで生きることの大切さをこの映画は主題としている。

なにか文字にすると陳腐なものに見える。けれども、過去に囚われることが許されるのは自分一人の世界だけだ。

 

世界観は裕介に戻るのか

クリープハイプは4人いる。クリープハイプは過去のように尾崎世界観のソロプロジェクトではない。尾崎世界観と愉快な仲間たちではない。ただ根拠なく、クリープハイプは良いバンドだと思う。いや正確に言えば、そう信じている。しかし、この本を読んで、劇中のしんのすけの言葉を借りるなら「ずるいぞ」と思うのである。