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ポケモンGOですがなにか

ポケモンGOにストーリーはない。ポケモンは正確に言えば四天王を倒してポケモンマスターになるというストーリーがある。しかし、このストーリーよりもポケモンについてはモンスターを育てて友達と対戦することがメインとなっている。

 

 

島国日本のポケモンが世界に通用するわけ

日本の様々な製品は島国であるせいなのか、それとも日本語という特殊な言語を喋っているからか、ガラパゴス化しやすい。要は世界標準と違うような進化を遂げる。

日本のゲームにもそのことが言える。海外のゲームGTOやマインクラフト、シムシティーなどのように自由度が高いゲームが多い。その一方で、Jゲームと呼ばれるドラクエやFFのようなRPGシナリオライターを有し、決まったストーリーが存在する。もちろんジャンルによっての違いがあるため一概には言えないが、かまいたちの夜やギャルゲーなどの紙芝居ゲームが流行ることからもその傾向はあると考えられる。

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この与えられた線路をなぞるゲームが発展するというのがとても日本らしい。ある種ゆとり世代を思い出すような言葉の並びでもある。

だが、だからこそ、そんな日本から出たポケモンは、そのストーリーの外でも楽しめる存在であり、海外でも親しまれるコンテンツになった。

 

ポケモンGOですがなにか

ポケモン赤・緑は1996年に発売された。それから今は20周年である。この期間に小学生だった人が今はアラサーになっている。デジタルネイティブ世代という言葉を良く耳にする。ポケモンなどのゲームボーイからだと仮に仮定するなら、ゲームネイティブ第一世代は、今のアラサー世代である。ちなみにこれはゆとり第一世代でもある。

クドカンこと宮藤官九郎脚本のドラマ「ゆとりですがなにか」の中で、小学校の先生である山路先生のクラスに学習障害を持つ男の子(大悟くん)が転入してくる。大悟くんは計算が苦手であるため、ある生徒が電卓を使う提案をする。しかし、最終的には、授業の進度を遅らせることに繋がるという保護者の指摘により彼は別教室での授業になってしまう。それについて山路先生は、以下のように生徒に教える。

「みんなと一緒に勉強して、みんなと一緒に社会に出るために必要な、特別な措置です。大悟が電卓を使っていい時代がそのうち来ると思う。それが本当の平等。本当の"ゆとり教育"だと先生は思います。」

 出典:ゆとりですがなにか第6話

 

連日、ポケモンGOについて多くが報道され、道行く人みんながやっていることに違和感があるのはもちろんそうだ。ただ、これらを許すゆとりがとても大切なのではないかと思う。ゆとらない世代は子どもにゆとりを与えようとしてゆとり教育は行われた。

こういうゆとりが、テレビワイドショーにもTwitterにも2chにもLINEニュースにも足りないのでは?と思う。

 

ゆとりですがなにか

ゆとりですがなにか

 

 

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