映画の長回しは単なる手法なのか?
映画「トゥモローワールド」を見た。この映画は映画批評家 前田有一によるサイト、超映画批評にて90点を獲得した作品である。
この映画が評価される理由はその映像にある。長回しと呼ばれる手法を駆使した臨場感あふれる映像が高く評価されている。けれども、その内容について触れたものがあまりない。
この記事はネタバレを含みます。
みんなの利益は誰の利益?
この映画の原題は"Children of Men"である。これは、この映画の原作である「人類の子供たち」"The Children of Men"を元にしている。
舞台は子どもが産まれなくなり18年が経過した世界である。子どもが生まれなくなり世界は混乱につつまれ、内戦やテロなどで壊滅状態になっている。そんな中で、主人公は子どもを宿した女性と出会う。この子どもこそが人類の希望であり、主人公はなんとかして安全なところに避難させようとする。
この作品ではこの女性の娘であることが強調される。人類の子供たちという原作にも関わらず、である。例えば、軍の研究機関や政府に渡ったら母子は離れ離れになるからダメだという会話がたびたび行われる。
では、この作品で描きたかったのは、本当に人類の希望の子どもについてだろうか?
私はこの映画で描きたかったのは全体主義に対しての批判だと思う。
この赤ん坊が合理的に生き残るために、人類みなの子供たちとして、かつてのイエス・キリストのように崇められることである。実際に、映画内で主人公が子どもを宿した女性と会うのは、キリストが生まれた馬小屋を意識してか、納屋の中である。
しかし、映画は子どもの幸せを選ぶ道をひたすら選択していく。これは全体主義によって個人の幸せが潰されることへの批判ではなかろうか。
つまり、みんなの幸せを選ぶのではなく、個人の、母親としての幸せを願うために主人公は必死になって戦うのだ。
アート作品から読む意図
この映画には何か不自然な形でアート作品が画面に映り込む。
その一つが、Banksyの作品である。
途中の通行証を偽造してももらうために文化庁を訪れる。その際、建物入口で、恐らく押収された作品として見かけられるのがBanksyの絵である。バンクシーはロンドンを中心に活動する正体不明のアーティストであり、町中に絵を残し社会批判を行っている実在のアーティストだ。
映画内に登場する彼の作品は、男性の警察官同士がキスをする絵だ。
Banksy Kissing Coppers Police by Banksyより
もちろん批判の対象はこれを認めない社会であり、取り締まる側である警官がキスをしているからこそ批判力がある。だが、この映画の中でLGBTの話は一つもなされない。
この絵が映画に出てくることの意味はなんだろうか?
LGBTを許さない、多様さを排除しようとする世界に対しての批判ではないだろうか。
この映画の中で、イギリスへの不法移民は収容所行きにさせられ、隔離地区に住まわせられる。しかも、テロとの戦いという名目でイスラム教徒も白い目で見られている。
まさに、多様性を排除する方向に向かう世界の話だ。今の世界情勢にピッタリな作品とも言える。
- 作者: Banksy(バンクシー),廣渡太郎
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まとめ
この映画が公開されたのは、2006年である。まさにこれはイギリスのEU離脱やトランプの移民政策など今の世界情勢の批判とも言える。
全体主義よりも個人の幸せを考えるというのは理想主義でもある。
けれども、全体主義が行き過ぎた結果として、多様性を排除する方向につながるのなら、それは去勢されるべき事実なのだと思う。
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