サブカル備忘録

映画・アニメ・音楽、全てのカルチャーは処方箋

『ヒットの崩壊』そして、、、

柴那典の『ヒットの崩壊』という本が少し前にヒットしていた。なんとも文字面だけ見ると不思議な感じだが、この本は音楽業界の現状をまとめている素晴らしい本である。ただ、日本ローカルで少し違う観点から音楽業界の現状と今後を考えていく。

そもそも資本主義的にヒットしてミリオンになったアーティストが正解という考えがここ日本では違う気がする。
チャンス・ザ・ラッパーよりも、「それでも世界が続くなら」や「大森靖子」「神聖かまってちゃん」の方が音楽によって救ってる人の数は多い。だからこそ、音楽による救いを求める人たちがたどり着けるような回路は残さなくてはならない。
これが出来ず、ヒットばかりに目が眩んでいた時代こそが90年代のミリオンセラーが多発していて、みな浜崎あゆみを聞いていた均質で無個性な時代だったのだ。
本書の中で指摘があるように趣味や興味は「島宇宙化」している。つまり、オタク化している。「日本の音楽が好き」と一言で言っても、それが日本語ラップなのか邦楽ロックなのか、邦楽ロックの中でも、SiMや10FEETのような京都大作戦系なのか、ラブ人間のような下北系なのか、ZAZEN BOYSのような高円寺系なのか、ceroのようなcity pop系なのか、はたまたま神聖かまってちゃんような特定の場所をアイデンティティーとしないネット系なのか、などなどかなり多様化している。

毛皮のマリーズVo、現ドレスコーズの志磨遼平は、自身のアルバム「平凡」のインタビューで、ロックが抱える3つの問題を挙げている。
https://www.cinra.net/interview/201703-dresscodes?page=2

 

その中の一つに「どうして毎年、自分は新しいアルバムを作らなくてはいけないのか?」がある。これはアーティストが直面するあまりにもセンシティブな話だ。新曲を出さないとアーティストは忘れられる。ただ、モノを消費する社会からコトを消費する社会になるにつれて、新曲が持つ価値が減っているという事実もある。例えば夏フェスで一番盛り上がるのは、KANA-BOONのないものねだりなど、決して彼ら最も良い曲だとは言えない、認知度が上がったタイミングの曲である。
だからこそ、「音楽で一人一人にどれくらいの最大瞬間風速を起こせるか?」という問いこそが意味を持ってくる。その人々によって最大瞬間風速の測定方法は違う。先に挙げたような「大森靖子」や「それでも世界が続くなら」などは確実に個人を救っている。大森靖子はライブで「あなたたち一人一人」と繰り返し強調する。つまり、「お客さん盛り上がってるかー!」ではなく、一人一人と向き合うことに価値を置いている。
そして、ただ確実に言えるのは今ヒットや売り上げを第一目標としても、ヒットしない。ヒットはあくまで個人的最大瞬間風速が各地で発生した結果の現象だ。

つまり、ヒットが崩壊した後に島宇宙化が進み、ヒットが生まれにくい中で、一方で「チャンス・ザ・ラッパー」のようなリスナーの聞き方をハックしたヒットメーカーも生まれているという『ヒットの崩壊』に対して、「音楽で一人一人にどれくらいの最大瞬間風速を起こせるか?」という指標こそが今後重要視されるべきである。