サブカル備忘録

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若者が都会で暮らすことの孤独とは?

最近東京で暮らしはじめた、まちだねこです。

都会で暮らすこと。都会はみんなサバサバして生きてる個々がお互いに無関心で生活するイメージがあります。今回は都会で生活することについて、魚喃キリコ漫画原作の『ストロベリーショートケイクス』と『南瓜とマヨネーズ』から考えてみます。

 

ストロベリーショートケイクス

ストロベリーショートケイクス』は、フリーターの里子、デリヘル嬢の秋代、OLのちひろイラストレーターの塔子の4人の女性の日常をつづる話です。

彼女らの共通点は、悩みを素直に相談できる人がいないこと。ただ、彼女らも悩みを抱えきれずに弱みを見せるように誰かにすがりつきます。それが友達だったり、恋人だったりだったりします。

けれども、どうしても全てを委ねるのではなく、甘えた先を考えて、どうしたら相手に良く思われるかを計算してしまうズルさがあります。

たぶん都会で暮らすということはこの映画で描かれるような、誰にもなんとなく気を許せないで、もしくは部分的にしか気持ちを許せずに生きていくことなのではないでしょうか?

南瓜とマヨネーズ

南瓜とマヨネーズ』も都会で生きる女性が主人公の話です。主人公のツチダはシンガーソングライターの彼氏せいいちをヒモとして養っています。ツチダはそんなせいいちを支えるために内緒で水商売を始めます。そのことを知った土田は音楽をやめ、働き始めます。ただそんな時、ツチダは元彼のハギオと偶然再会する。

この映画のテーマは、ちょっとした思いやりはズレを生むということです。ただ、そのズレによって生活が崩壊するのではなく、生活はあまりにもゆるやかに続いてきます。

都会での暮らしを始めたら、どんな出来事が置きたとしてもゆるやかに続いていきます。そして、人が多いからこそ、偶然にいろんなできごとが起きます。ただ、それは生活の一部で、しかも都会で暮らす多くの人は無関係に振る舞ってくれます。しかも実際に無関係です。そんな誰も自分に関心がない状況はある意味で生きやすいのではないのでしょうか?

南瓜とマヨネーズ 通常版Blu-ray

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都会で暮らす孤独と希望

2本の映画を元に考えてきました。『ストロベリーショートケイクス』は都会で暮らすことの孤独を、『南瓜とマヨネーズ』は都会で暮らすことの希望を描いています。

都会で暮らすことは、都会に住む多くの人と自分が無関係であることを再認識して孤独を感じることです。ただ、無関係だからこそ、なにやっても許されるような気持ちに成ります。そんな相反する気持ちを抱きながら暮らすことが、都会での暮らしだと思います。