サブカル備忘録

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恋の始まりから終わりまでを描いた映画ありませんか?

春は出会いと別れの季節だと思っています、まちだねこです。

突然ですが、恋人になると必ず終わりが訪れます。それがハッピーエンドであれば結婚してパートナーになるし、バッドエンドであれば永遠に二人が会うことはありません。大抵の場合、失恋とは後者の場合を指します。別れたらその間に恋人と一緒にいた時間はムダだったのでしょうか?恋の始め方と終わり方を描かせたら最強のマークウェブ監督の映画2作品を元に考えていきます。

 

 

『500日のサマー』

『(500)日のサマー』は、さえない主人公トムがサマーという名前の女性に恋をする話です。この映画のタイトルの500日とは、トムがサマーに恋をしてから別れるまでの日数を表しています。トムは、同じ会社のサマーと仲良くなり、「友達以上恋人未満」の関係になります。二人はその関係のまま近づいたり、離れたりしながら、お互いの人間関係が揺れ動きます。

この映画で主人公の恋が当初願っていた形で叶うことはありません。ただ、この映画を見終わった後、多くの人が最初に出てくる主人公と映画の最後のシーンでの主人公が全く違って見えることに気が付きます。見た目や性格は大幅に変化はしていないのに、です。

その変化とは、トーマスがサマーとの恋愛後、垢抜けた姿になることです。たかだか、1年半経過しただけで、明らかに垢抜けた感じになっています。つまり、この映画は、恋愛模様ではなく、恋愛を通して人がどのように成長するかを描いた映画なのです。

 

さよなら、僕のマンハッタン

さよなら、僕のマンハッタン』もさえない主人公が恋により成長する話です。主人公のトーマスは仲の良い女友達ミミへの好意を伝えられずに曖昧な関係でいます。このトーマスがミミに好意を伝えられずに曖昧な関係を持っているというシチュエーションは、500日のサマーと全く同じです。ただ、500日のサマーと異なる点は、そこからトーマスは父親の不倫を目撃し、父親の不倫相手と交際するという方向転換です。

つまり、この映画は、父親との確執というよりは刺激的な恋愛をすると人はどう成長すか?というテーマを描いています。

そして、トーマスは父親の不倫相手との交際を経て、垢抜けていくことで、ついには映画の始まりの時点では好きだったミミから告白されるようになります。ただその頃、トーマスはミミよりも父親の不倫相手の方を好きになっているというすれ違いになります。そして、不倫相手とも別れます。ただ、彼は明らかに映画の初めと終わりで成長して大人になっています。これは恋による成長です。

 

「失恋」と「恋の終わり」の違い

恋愛によって主人公の成長を描いた映画2作を紹介しました。この2作は成長をテーマに置いていて、恋愛というのは人生の1つのパーツにすぎないということを描いています。つまり、自身を成長させえるものが恋愛のみという恋愛至上主義でもなく、仕事のみでもないということです。

また、主人公が自分とは釣り合わないような美人と付き合おうと奮闘して成長していくという点も2作品で共通しています。彼らは背伸びをすることで自分が成長することに結びついています。別に、クラスのマドンナを狙うのが良い。ということではありません。結局、自分を成長させてくれるようなものであれば、それはどんな結末だろうと良い恋愛で良い経験だったのではないかと思います。

この2作品で描かれているのの、恋が失くなるような刹那的な「失恋」ではなく、終わるけどゆるやかに自分の糧として残っていくような「恋の終わり」ではないかと思います。