サブカル備忘録

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アニメ、映画、音楽、本

ポケモンGoの先にあるものは?

ポケモンGoをめぐる環境は日に日に白熱している。この現象について今回は空間のとらえ方という点から考えてみる。

 

 

ポケGoの魅力と空間認知の更新

ポケモンのGoは、人々の空間認知を更新した。言い換えると、そこがどのような場所か考える場合においての選択肢が増えたともいえる。つまり、目に見えるだけがすべてでなくなった

 

今、仮に、シャッター化した商店街に賑わいを生み出す場合を考えよう。この場合、まず考えられるのは、より魅力的な商品を置くことだ。だが、それにも限界はある。いくら個人商店が頑張ったところで大型のイオンに品揃えで勝てるとは思えない。

次に考え付くのは、イベントを行うことである。例えば聖地巡礼がある。もちろんエルサレムを回る巡礼ではなく、アニメの舞台となった場所を回る聖地巡礼だ。現状ではわざとらしくキャラクターのパネルを駅に置くというあまりにもくだらない、役人が考えそうなプランが多く目立つが、それでも多くの経済効果を生んでいる。

そもそもアニメの舞台と分かるというのは、最近では細かい描写があれでこれでという、ネットで住所を特定されるようなことになっている。けれども、元々はストーリーと雰囲気が良くてそこを舞台にしたはずである。けれどもやらコラボメニューだなんだとかいう、サブカル豚には餌を食べさせとけば儲かる的なことが横行している。

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さて、では商品でもイベントでもないもので賑わいを生み出す方法は何か。それこそが今起きているポケモンGoの現象である。

 

リアルな世界とバーチャル世界があり、それらが相互作用することをポケモンGoは明確に示した。例えば、リアルな世界において何もなく子どもも大人もいない公園でも、ポケストップになりレアポケモンが集まるとなれば人々は集まる。

もちろんこのブームが継続して続くとは思えない。現にingressは今また盛り上がっているが、最盛期に比べると確実にアクティブなユーザー数は減っている。だが、バーチャル世界が存在し、それにより人々を動かせるという事実を知らしめたことは大きな功績である。

 

ポケモンGoの問題点

さて、そんなポケモンGoにも問題点がある。もちろん議論尽くされている歩きスマホの問題なんかをここで取り上げる意味は無い。では、なにか?

 

ポケモンが画面から出てこないことだ。何を意味の分からないことを言うのだ、と思うかもしれない。しかし、これが現実とゲームの境界になっている。

ここで、落合陽一の魔法の世紀という本を参考にしたい。落合陽一は研究者であり、現代の魔法使いという名前でメディア出演してることもある。

少し、本の内容について言及すると、時代の流れとしてまず産業革命などにより「物の世紀」が訪れる。次に、軍事のためのプロパガンダや娯楽映画のために「映像の世紀」が訪れた。落合陽一は本の中でこれからは「魔法の世紀」がくると述べている。例えば、妖精を彼は創りだした。

 

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なんだこんなものか。という感想かもしれないが、映像が肌感を持ったという革命である。つまり、映像が物質になった。詳細は本を読んでみるとより分かると思うので未読の方は是非。

魔法の世紀

魔法の世紀

 

 

ポケモンGoの先にあるものは?

ポケモンGoの問題はポケモンが実際にはいないことだという話をした。つまり、スマホの画面内であることが今の限界である。先の落合さんの話により、ポケモンがより物質的になることが出来た時、スマホの中を飛び出して、「あの子のスカートの中」にもモンスターは現れることができるだろう。