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The Mirrazは本当にオワコンバンドなのか?

The Mirrazのベストアルバム「BEST!BEST!BEST!」とミニアルバム「そして、愛してるE.P.」が発売された。ただ、連日投稿される彼らのLINEBLOGには、「売れたいけど売れてない」という悲痛な現実が書かれている。Voの畠山は、以前から「売れたい」と発言している。本当にミイラズがオワコンバンドになってしまったのかについて考える。

 

 

BEST! BEST! BEST!

BEST! BEST! BEST!

 

 

攻撃的だけじゃないMirrazらしさ

世間が考えるThe Mirrazらしさとは、攻撃的な歌詞と言葉数の多さだ。例えば、「check it out! check it out! check it out! check it out!」では以下の言葉から始まる。

あー曲が生まれないって出来たのがこの曲

決してパクリじゃございません

そんな裏話はロッキンオンで言えばいいって?

そうです僕はただの泥棒です

シャムネコチシャネコ泥棒猫

もうなんとでもお気に召すままにお呼びくださいませ

オラを馬鹿にするのはかまいません

でもファミリーへの罵声は許しません

この歌詞を見ると攻撃的であり、権力に噛み付くような印象を受ける。ただ、その攻撃性は本質ではないと思う。

The Mirrazの歌詞は、畠山自身の個人的な内容が多い。それこそがMirrazらしさだと思っている。先のcheck it outの歌詞は、読むだけで「あぁ、この人ムカついてるんだな」という事がわかる。この分かりこそが共感につながる。

 

話は変わるが、ある番組の公開収録の中で星野源が「共感はいらない」という話をしていた。「共感なんてしてほしくて書いてもらってるわけじゃないし、むしろ勝手にリスナーが共感してるだけだ。だからこそ、そういう共感に寄った歌詞は書きたくない」という話だった。ちなみに、今の世間的な星野源のイメージは、彼がわざとポップなキャラクターを演じて収入を得るプロ童貞のような立ち振舞をしているから成り立つものであるが、そこについてはまた後日書きたいと思う。

話を戻すと、The Mirrazの魅力は「個人的なことをありのままに歌っていること」であると考える。 

 

メジャーとか、インディーとか

バンドが売れてくると「ファンのために」と称して一般的なふわっとしたメッセージを言うバンドが多くなる。これがメジャー的なバンドとインディーズ的なバンドの違いだと思っている。これは、もはや陰謀論的に言われている「メジャーによる縛り」なのかもしれないがその辺は関係者でないので分からない。ここでミイラズのブログから引用すると、

ちなみにこの曲、最初の歌詞がメジャーからだとリリース出来ないって言われて変更しています。メジャーの歌詞の制限をかなり感じ始めました。まぁだいぶ攻めてたしね…。あと、歌詞が個人的すぎるからダメとかも言われたなぁ。うーん、ミイラズって個人的な歌詞が多いんだけどなーそれがなくなったらミイラズの意味ないんじゃ?と思いました。

The Mirraz 公式ブログ - ベストアルバム解説的な その2 - Powered by LINEより引用

 

個人的すぎるからダメというのは、ほぼミイラズの良さを去勢してしまっている事になっている。これにより、ミイラズはあまり個人的な歌詞を書くことができなくなり、なかなか良さを発揮することができなくなってきたのだ。その間に歌詞ではなく、音楽的アプローチを多く試みているが、リスナーは難しい音楽の話よりキャッチーなものに反応するため、なかなかこのアプローチはヒットには繋がらなかった。

 

ミイラズは今後どうなる?

そんな経緯を経て現在、ミイラズはメジャーから自主レーベルと言うかたちでインディーズ的な活動に戻った。そこで発表されたシングルがこれである。

そして、愛してる E.P.

そして、愛してる E.P.

 

 

本作は、ある意味今までのミイラズとは音楽性は異なる。が、歌詞はミイラズ特有の同じ言葉の繰り返し個人的内容が戻ってきているような印象がある。だからこそ、音楽性は変化し続けても、本質的な魅力は失われていないと考える。

だから、声を大にして言いたいのは、The Mirrazはオワコンバンドではない」ということだ。

 

3月のライオンはどこへ向かうのか?

 以前、3月のライオンについてこんなことをこのブログに書いた。

羽海野チカは、ハチクロの「ボクとキミの閉じられた恋愛観」から、3月のライオンの集合として愛し愛されるような「擬似家族的なつながり」を描くようになったのだ。

疑似家族的なつながりを強調してきた3月のライオンは12巻で舵を大きく切った。これには賛否両論があったと本人もツイートしている。そこについて考えていく。

 

12巻は3月のライオンの変化点

まず、結論から言えば、僕は今回の12巻は賛否両論の「賛」の側だ。

この物語の今までの中心は、主人公である桐山零の抱える闇の部分である。今までの3月のライオンは、読むのが辛くなるような内容がとても多かった。例えば、零くんがどこにも居場所がないことや、川本家の次女ひなたちゃんをとりまくいじめ問題などである。その闇を説明するための前半部を終え、どうこの零くんを救うかという問題に舵を切ったのが今回の12巻である。個々のキャラクターが幸せに向かって進んでいく。

つまり、今までは状況説明の前フリであり、12巻以降がこのマンガの核心であると考える。だからこそ、この漫画の持つダークな部分が本質だと思っていた読者は裏切られたと感じ、ハチクロを期待していた読者にはやっと希望が見えてきて一安心するという評価が生まれる。

 

幸せな桐山零はつまらないのか

では、そんなダークな部分が完全に漂白された、幸せでハッピーな物語が今後進むのか?そう簡単ではないと思う。

少しだけ話はズレるが、東日本大震災直後、絆という言葉をテレビやネット様々な媒体で目にすることが多くなった。それは、電気などのインフラが止まり一時的ではあるが不自由な生活を強いられたことにより、人の絆を改めて大切にしようという気持ちになった。人々はそんな不安を植え付けられ、意識的にも無意識的にも「人とのつながり」を気にせざるを得なくなった。

話を戻すと、3月のライオンでは、というか羽海野チカ作品の多くは、そんな人のつながりを中心に描いている。ただ、そこで人のつながりを肯定するだけではなく、「つながりすぎると気を使うし、逆につながらないのもさみしい。」というめんどくさい人間の気持ちを表現している。それを踏まえると、今後の3月のライオンも単に零くんや川本家が幸せになるシンプルなストーリーではなく、もっとめんどくさい話になるだろうと想像できる。

だからこそ、12巻に批判的であろうともこれからの3月のライオンを追うべきであるし、未読の人は是非まだ間に合うので読んでほしいと切に願う。

 

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勇者ヨシヒコの面白さってなんだ?

低予算のものこそ工夫がされていて、面白い。低予算で面白いものを作る、福田雄一監督作品の魅力を今回は考える。

 

 

勇者ヨシヒコに学ぶ低予算ヒットの方程式

福田監督といえばまず挙がるのが、勇者ヨシヒコシリーズだ。本作はドラクエのような世界観をダンボールの敵など小道具で撮影した完全低予算作品である。下記サイトに10月7日まで過去作品は無料配信しているので、見たことない方は見てほしい。最高ににくだらなくて面白い。(2017年2月現在は配信されていません)

では、普通の山の中でコスプレした人たちが演じている映像がなぜあんなにも面白いのか?それは、くだらないことを本気でやっているからである。ここで本作では低予算ということは感じさせないくらいの熱演を俳優が繰り広げている。低予算であると感じるのはそのセットや雰囲気が安く見えるからである。

つまり、福田監督作品の方程式とは、演技力のある役者×チープなセットである。このチープなセットこそが逆に余計なものを見せずに役者に集中させる力を持たせている。

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ニーチェ先生』から見る演技と素の境目

また、福田監督が手がけた作品として、『ニーチェ先生』という作品がある。これは先の勇者ヨシヒコシリーズと異なり、原作の漫画を実写化した作品である。福田監督は多くの原作作品の実写化も手がけており、例えば、変態仮面アオイホノオ、また、来年は銀魂の公開も控えている。

話を戻すと、この『ニーチェ先生』はコンビニを舞台とした店員同士のコメディーである。そのため、コンビニの周りで起こることしか話には登場しない。つまり、実写化する際にも、コンビニのセットとその周りだけでことが済む。だからこそ、セットは低予算ですむが、舞台のようにシーン縛りがある難しさを持つ。

ここで役に立つのが、先の福田監督作品の方程式で登場した、演技力のある役者である。福田監督の演出としてよくあるのは、誰かがふざけてそれが余りにも本気すぎて、出演者が素で笑ってしまうというものだ。

例えば、本作では、コンビニの店長がノリノリで通路を歩き、それを冷ややかな目で他の店員が見るというだけのシーンでも、店長が本気で笑わせにかかるからみんな思わず役を忘れて笑ってしまう。通常ならNGになるシーンもここでは採用される。

この意図は、おそらくバラエティー番組でおなじみの笑い声のSEと同じであると考えられる。役者と演じているキャラクターがあいまいになることで、これはドラマであって演じているのだから笑っていいんだという承認のようなものを与える効果がある。つまり、本気でやる出演者を笑わせるくらい面白くなければ視聴者なんか笑わせられないし、その俳優が素で笑うことであぁ笑っていいのか、笑いどころなのかという承認を得たような気持ちになる効果を生み出している。

ニーチェ先生 DVD-BOX

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新作 勇者ヨシヒコから見る予算の使いみち

低予算監督と言われながらも知名度を上げ、そこそこ知名度が出てきた福田監督が編み出した手法というのは、低予算であることを魅せる手法だ。ただ、さまざまな作品を通して知名度を挙げた監督には予算が多くついてくることが考えられる。勇者ヨシヒコシリーズなんで三作目なのだからそれなりにあるだろう。だが、低予算監督としてのイメージがある福田監督はその予算をどこに使うのか今回の10月から放送開始する勇者ヨシヒコについて考えてみよう。

それはずばり、プロモーションである。本作のプロモーションにおいて、馬車を使った広告やヤフーの検索フォームなど多くの広告を打っている。

その中でも新宿アルタ前に実際の馬車を走らせるという広告はこのSNS時代において、フォトジェニックな対象を作り拡散させることに成功している。実際、勇者ヨシヒコを知らない人にとっても街中に馬車がいるというのは異様な光景である。だから写真に収めてTwitterに投稿する。それを見た勇者ヨシヒコ既存のファンは存在に気がつく。それによりさらに拡散される。その繰り返しにより、ネットニュースやまとめサイトに転載され、さらに宣伝される。

おそらくこの馬車を手配するのはかなりの額がかかっているだろうが、単にアーティストの音楽が大音量で流れるトラックを走らせるより何倍もの効果が予想される。低予算で面白いという手法は、費用対効果を格段に引き上げる広告制作でも工夫されている。

しかし、番組が始まる前の番宣の広告で多くの額を使ったことが予想されるため、ドラマ制作費自体は低予算で作ることを強制される。だからこそ、上手くシリーズものであっても以前のように追い詰められた状態で、クオリティーを保って作れるのである。ただ、まだ本放送が始まる前の段階での推測であるため、本当にそうなるかはわからない。けれども、こうなってほしいという期待を込めてこの記事を終わりにする。


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ジャケ買いって最近してますか?

CDが売れない時代。

要因はいろいろある。その一つがネット配信の普及だと言われている。確かに僕自身、CDを買ってきてそれをパソコンで読み込んで、手持ちのipodに入れれば満足でCDはもう聞かないことはよくある。けれども、CDを買っている。その理由として、作りがある。今回は、いくつかの面白いパッケージの例から作品としてのCDを見ていく。

 

 

アルバムと本の同時展開(クリープハイプ)

まず、クリープハイプのアルバム『世界観』である。これは、それよりすこし前に発売されたVoの尾崎初の初小説『裕介』と対になる作品である。尾崎の芸名である尾崎世界観を冠したアルバムと本名の尾崎裕介を冠した本という関係だ。

ここで面白いのは、その中身も対になっていることだ。まず、大きさ。通常のCDアルバムよりもかなり大きく作られている。これにより、小説と同じ大きさになり、より二つの作品が対であることが強調される。

また、中身にも工夫がある。本というのはフォントに特徴がある。この小説で使われているフォントと同じものが、アルバム『世界観』の歌詞カードに用いられてる。また、小説は縦書きであるため、歌詞カードは徹底して横書きになっている。

クリープハイプは、フェス文化の中で単に「セックスしよう」を言うためだけに集まった軽音楽部系大学生に消費されるのを嫌がってきた。単に音楽を音だけで楽しむのではなく、ちゃんと歌詞自体も聴いてほしい、理解してほしいという思いを強く持ったバンドである。だからこそ、このアルバムでは、歌詞カードも小説のようにちゃんと見てほしい、読んでほしいという意味が込められている気がする。

世界観(初回限定盤)(DVD付)

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自由なライブDVDのジャケット(ドレスコーズ)

次に紹介するのは、ドレスコーズのDVD作品『SWEET HAPPENING』である。この作品はライブを収めたDVDである。ここでドレスコーズの基礎知識を振り返ると、毛皮のマリーズのフロントマンとして活躍していた志磨遼平が毛皮のマリーズ解散後に組んだバンドである。紆余曲折を経て、現在は一人でドレスコーズとして活動している。けれども、このバンドが特異なのは、ライブやアルバムごとにさまざまなアーティストを起用して作品を作り上げている点である。例えば、最新作では人間椅子の和嶋さんや凛として時雨ピエール中野が名を連ね、過去には元毛皮のマリーズの西くんやウエノコウジ、OKAMOTO'Sなどが起用されている。詳細は以下を参考にして頂きたい。

Members | ドレスコーズ[the dresscodes]オフィシャルサイト

 

さて、そんな 変幻自在なバンド、ドレスコーズのDVDもまた変幻自在である。これはクリアケースに数枚の写真やCDなどがバラバラに入っているというパッケージになっている。とても不安定な形である。しかしこれはドレスコーズの歴史を考えると、いつでも形を変えてきたドレスコーズそのものを表しているジャケットだと言える。

作品ではそのライブ単体しか表すことは出来なかったが、ジャケットとして歴史を含めて表現している良い例である。

CDには重さがある

当たり前のものかもしれないが、CDには重さがある

一方、音楽には質量がない、データだからだ。そのCDの質量こそが音楽を所有している気分にさせてくれる。 そんな所有する欲求を満たしてくれる。実際、所有欲、マニア気質のある日本ではアメリカよりもCDがまだ売れている方だと言われている。

ただ近年、それだけではなく、音楽の枠だけでない作品を表す手段としてCDのパッケージや装丁が用いられている。

だからこそ、CDの作りをちゃんと見るべきだと思う。CDをアーティストのやりたいことがつまった作品として見ることこそがCDを買う理由だと私は考える。 

 

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震災とシン・ゴジラと君の名は。

シン・ゴジラ』や『君の名は。』がヒットしている。この二つの映画について震災という観点から考えてみる。(両映画のネタバレを含みますので、鑑賞後に読むとより良いと思います)

 

 

ゴジラという災害

シン・ゴジラ』と震災についての議論は各所で行われている。そのため簡潔に述べる。この映画において、ゴジラは特に目的があるわけではなくただただ海から上陸して町を破壊する。ここでポイントなのは、目的がないということだ。例えば、宇宙戦争などであれば、宇宙人が地球を侵略して自分の土地にしようとするという目的がある。けれども、ゴジラにはそれがない。だから、ゴジラは、生物よりも自然に近い。つまり、ゴジラによる被害は自然災害とも言える。

また、別の側面から言うならば、海から侵入することで来る津波ゴジラ自体が原子力により動いていること、その後住民の測定によりゴジラの移動跡には放射線量が増加していることなど、このゴジラ災害が、東日本大震災原発事故を意識していることは明らかである。この辺はそもそもゴジラというものが第5福竜丸の水爆実験により生まれたという話にも繋がるが、それはまた別の機会にする。

本題に入ると、この『シン・ゴジラ』では、主に国家単位でどう災害に対処するかが描かれている。つまり、国単位であるからこそ、エヴァのシンジ君の葛藤など人間描写よりも、国としてどう動くかのシステムが強調されている。そのために、人が亡くなるシーンをあまりにもドライに描きすぎているという批判もある。だが、国単位で災害を描くということに注力したと考えれば、納得できるストーリー展開だと思う。

シン・ゴジラ Blu-ray2枚組

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君の名は。と災害

君の名は。』における災害とは、糸守町に彗星が落下したことである。

この彗星落下について多くは描かれていないが、甚大な被害を与え、町民の殆どが亡くなったことが語られる。また、その1200年前にも彗星が落ちることで今の湖が出来たことが作品内で示唆されている。ちなみにこの際には、大火事を起こすことで町民を強制的に避難させたことが映画内の宮水一葉のセリフから考えられる。これによって、祭りの起源を示す書類は焼けてしまったという汚点だけが後世に語り継がれているが。

 

さて、本題にはいろう。『君の名は。』は先のゴジラとは異なり、地方自治体単位での災害について捉えている。

しかし、ここでは地方自治体の限界が示されている。それは、ラストのシーンにおいて、三葉たちにより爆発事故のための避難放送が町内に流されるのだが、祭りの中で誰一人逃げないということに象徴される。

つまり、町内放送で、人は避難しないのだ。

 

東日本大震災において、避難勧告が出たにも関わらず避難せずに自宅にとどまった人が多くいたと報告されている。一方で、原発事故において、政府発表がないにも変わらず口コミによる情報だけで自宅から避難した人は多くいた。これは、国からの避難指示だけではなく、口コミや隣人からの情報という目に見えやすい形での情報によるもので人は動くということを示している。

 

君の名は。』において、町民を全て小学校の校庭に避難させるために取られた方法は、避難訓練とウソをつくことである。

避難訓練というのは、100年に一度の災害よりも圧倒的に僕らにとっては身近な存在である。だから、実際の災害よりも避難訓練と知らせる方が避難してくれるという、矛盾が生じてしまう。この点は今後、防災を考える上でとても重要な観点である。

 

 

震災と物語

シン・ゴジラ』ではゴジラ自体が、『君の名は。』では彗星墜落が災害として描かれている。災害において、大きく分けると二つの次元で物事が起こる。国家単位でどう処理していくかというマクロ的な面と、人々をどう避難させるかというミクロ的な面である。このマクロとミクロを描いた映画が、それぞれ『シン・ゴジラ』と『君の名は。』であると考える。

震災をきっかけに生まれた映画や物は多くある。良い物も悪いものの存在する。それは戦争にも同じことが言える。戦争があったからこそ現在の科学の進歩があったといっても過言ではないくらいの影響力があった。だからこそ、311も911も単に悲観するだけではなく、何かを見つけられるような経験になればいいのではないかと思う。

東京防災

東京防災

 

 

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