『ラ・ラ・ランド』はハッピーエンドなのか?
アカデミー賞最多ノミネート、といえば『ラ・ラ・ランド』が思い浮かぶであろう。
実際に、作品賞はのがしたものの、5部門で受賞している。このラ・ラ・ランドの結末については評価が分かれている。
果たして、あれはハッピーエンドなのか?バッド・エンドなのか?
※この記事にはネタバレを含みます。
ハリウッドや映画が描いてきた夢の終わり
La-la landを辞書で調べると、「現実離れしている状態」「ロサンゼルスの愛称」と出てくる。lalalandの意味 - 英和辞典 Weblio辞書より
また、映画のキャッチコピーに「夢を見ていた」というのがある。
タイトルとキャッチコピーには二つのテーマが関係している。1つは恋愛について。もう1つはハリウッド的な映画産業についてである。
つまり、恋愛において、現実離れしており夢を見ていた。映画も、LAを目指すハリウッドドリームはまさに夢の象徴であり、殆どかなわないものであった。まずは、後者について述べる。
ハリウッドや映画の現状がこの映画には随所に含まれている。例えば、2人がデートで訪れたミニシアターは時代の流れに逆らえずに閉鎖に追い込まれる。また、「あんなに汚いところ誰が行くのかしら?」というような映画館はもうダメだという客の会話もクローズアップされる。ラストシーンの回想シーンでは、古き良きハリウッドで用いられていたハリボテに近いセットの前で踊る映像が用いられる。それまでのプラネタリウムでのシーンなどは素晴らしいCGに支えられているにも関わらず、である。
つまり、この映画は恋の終わりと映画産業の衰退が重ねられている。
どちらが主軸なのかということではない。恋愛も映画産業も時代の流れによって追いつけなくなって来てしまったとこの映画では述べていると考えられる。
ただ、映画産業の復興の鍵については映画内で語られていない。しかし、叶わなかった恋の次へのつなぎ方については述べられている。詳しくは次で述べる。
小沢健二とラ・ラ・ランド
話は少し変わるが、小沢健二の19年ぶりのシングル『流動体について』を発売した。
ネット上では、この歌詞の内容とラ・ラ・ランドの関連性がいくつか述べられている。
え!?「ラ・ラ・ランド」は「流動体について」だったけど、「カルテット」は「時間軸を曲げて」なの!?
— 宇野維正 (@uno_kore) 2017年2月28日
『流動体について』の歌詞の中に以下の話が出てくる。(「流動体について」より引用)
もしも 間違いに気がつくことができなかったのなら
並行する世界の僕は
どこらへんで暮らしているのかな
ラ・ラ・ランドを見た方なら、最後にある、もしこうだったら~という回想シーンを思い浮かべるであろう。ラ・ラ・ランド における幾つかの間違いによって、セバスチャンとミアは結ばれない結末になった。
一方、小沢健二は曲をこう続けている。(「流動体について」より引用)
神の手の中にあるのなら
その時々にできることは
宇宙の中で良いことを決意するくらいだろう
その時々に最善の選択肢を選ぶことくらいしか出来ないとある意味謙遜したような口調で歌う。偶然にも同じ時期に『騎士団長殺し』を出版した村上春樹によく出てくる主人公も「やれやれ」と現状を諦める。
ただ、ラ・ラ・ランドでは、最後に二人が微笑むシーンで映画は終わる。この映画は村上春樹的な「やれやれ」という結末ではない。つまり、諦めではないのだ。
この笑みは、もしこうだたら~という並行世界をイメージしながらも、今があるのは過去の恋愛があったからであり、感謝しているというある意味かつての戦友に向けた笑みなのだ。
恋が叶わないハッピーエンドというカタチ
日本の恋愛を扱った作品でハッピーエンドといえば、恋が叶うこと。バッドエンドといえば失恋することを表す場合が多い。
けれども、このラ・ラ・ランドでは、恋愛はそううまくいかないことが描かれている。まさに現実だ。けれども、それも良い経験じゃないか、こうだったらという妄想ですらも糧になるではないか、という指摘を与えるものではないかと思う。
ミュージカルは夢を見せてきた。けれども、次に繋がる新しいミュージカルを自分で描けなければ単なる夢物語でハリウッドドリームのように叶わない物になってしまう。
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