サブカル備忘録

映画・アニメ・音楽、全てのカルチャーは処方箋

2016年公開の映画まとめ(前半)

2016年は映画やドラマ、アニメが盛り上がった年と言える。

それは「君の名は。」のようなアニメから、特撮の「シン・ゴジラ」、ドキュメンタリーの「FAKE」などジャンルなど関係ないかのようにヒットが連発した。

公開となった映画について、年代順に振り返ってみる。

 

 

レヴェナント:蘇りし者

レオナルドディカプリオがやっとアカデミー賞を取れた作品である。

この作品は、レオ様がここまでやらないと行けないのかというくらい悲惨な状況になるが、屈強な肉体がそれを乗り越えるというアメリカ的な強さが描かれている。

これは、今年の大事件であるトランプ大統領爆誕と大きく関係がある。詳細は以下の過去記事を参考に。 

また、来年以降、トランプ自体が新たなスーパーヒーローになれるのか、それともマッチョなスーパーマンにしかなれないのか、というのは注目どころだ。

  

ズートピア 

本作は、動物世界の多様性を比喩的に見せることで、人間社会多様性の訴える作品である。

けれども、ここで注目したいのは、ストーリーよりもディズニーという子供向けのアニメを作っていた会社が、本作では明らかに大人を意識した作品を作ってきた。

先進国が高齢化社会と言われる中で、子供向けの作品を作るよりも大人向けのビジネスに転換するのは当然の流れである。これは、スター・ウォーズというコンテンツをディズニーが買ったことにもつながる。

子どもにはキャラクターが可愛ければストーリーとかどうでもいいでしょ?というような思考が見えるような気もするが、ディズニーは今後この路線で行くのか、来年以降も注視していきたい。

 

リップヴァンウィンクルの花嫁

本作は岩井俊二監督最新作である。

岩井監督といえば、少女漫画的な映画だと言われる事が多い。

本作でも女性同士の友情とも恋愛とも見れるような世界観が繰り広げられる。

深夜アニメなどで取り上げられる百合要素は、どちらかと言えば男性視聴者向けのご褒美的意味合いが強い。けれども、本作の二人の関係は同性間の友情の延長として恋愛関係に至る。

ただ、この作品の一番の魅力は「恋愛のようなもの」に徹するところであり、あいまいな関係こそが儚く美しいという感覚がずっとある。

同じく、 今年は「キャロル」や「リリーの全て」など同じくLGBTについて扱った作品があるので、本作と見比べるのも面白いだろう。

 

帰ってきたヒトラー

「もしヒトラーが現代に復活したら?」というフィクションと、実際に街頭インタビューやネオナチへのインタビューというドキュメント的な側面を持つ作品だ。

本作は原作の小説を元に映画化されたものだが、単に作品をそのままなぞって映像化するだけではない。

小説の主張を強めるためにドキュメント部分が存在し、新しい小説の映像化の可能性を見られる作品でもある。

 また、過去にも少しだけ違う観点から書いたので参考までに。


FAKE

こちらはオウム真理教やミゼットプロレスなどタブーと言われるものを撮り続けてきた森達也監督の最新作である。被写体は、世間を賑わせた佐村河内守

佐村河内守への密着が元になっているが、果たしてドキュメントとは相手の気持を考えて、相手を支援するような映像を撮るものなのか、はたまた相手を非難する映像を撮るものなのか、という疑問を投げかける作品でもある。

「中立な報道」という言葉はこの映画を見た後では決して言えなくなる。

FAKE ディレクターズ・カット版 [DVD]

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後半は、「シンゴジラ」「君の名は。」「インフェルノ」「この世界の片隅に」について書きます(予定)

 

 

RADWIMPS「人間開花」レビュー

11月23日、RADWIMPSのニューアルバム人間開花が発売された。RADWIMPSを取り巻く環境には様々な変化があった。ドラムの山口智史の病気療養が最も大きな変化だろう。それを経たニューアルバムについて書いていく。

 

 

人間開花(通常盤)

人間開花(通常盤)

 

前前前世[original ver.]」とBUMP OF CHICKEN

まず、「前前前世」について語らないと始まらないだろう。「君の名は。」の挿入歌として知らない人はいないくらい有名な曲になったわけだが、このアルバムにはオリジナルバージョンが収録されている。

 映画バージョンとの違いは、オリジナルの方が歌詞が追加されている。この文章がとてもRADWIMPSとはどんなバンドかを象徴している。

君以外の武器は、他にいらないんだ。

RADWIMPS 前前前世[original ver.]より歌詞の一部

 

ここで分かりやすくBUMP OF CHICKENと比較してみる。BUMPは、ボクが不特定多数のキミの側にラフメーカーとして行ってあげるからドアを開けて!というバンドだ。

それに対して、RADは、総理大臣になったらキミ(彼氏or彼女)の誕生日を祝日にしようと歌うバンドなのだ。

 

つまり、極端に言えば、例えみんな滅びたとしても、ボクとキミの世界が一瞬でもあれば他はいらないという世界観を描いてきたのがRADWIMPSなのだ。このような考え方をよくセカイ系という言葉で呼んだりする。

このRADWIMPSのエゴとも言える歌詞の部分が映画バージョンでは削除されている。それはこの「君の名は。」という映画が、みんなを救うための映画だからだ。だからこそ、ボクとキミだけが残る世界観が強くなりすぎるこの歌詞は合わなかったのだ。

 

「アメノヒニキク」とサカナクション

RADWIMPSは「君の名は。」の劇伴を作成する中で、新海誠監督から見たRADWIMPSっぽさに触れたという話をインタビューでしている。それは今回のアルバムにも大きく反映している。

例えば、アルバム収録曲のアメノヒニキク。これは、今までのRADWIMPSではやり得なかったいくつもの手法が取り入れられている。

今日は灰色

今日は灰色

僕は水色の中に

 RADWIMPS アメノヒニキクより歌詞の一部

その一つは歌詞の繰り返しだ。もちろん今までもあったが、何かしら同音異義語など音は同じでも意味の違いを生んできていた。しかし、今回はほぼ同じ単語を繰り返す。

それは、サカナクション的な手法とも言える。というか、この曲はとてもサカナクション的なのだ。だが、決してパクリではなく、サカナクションRADWIMPSが取り入れたらこうなりますという曲になっている。それこそが、外から見たRADWIMPSを意識して、他と掛け算するというプロデューサー的な視点を野田洋次郎が持ったことで生まれた曲なのではないか。

 

RADWIMPSは歌詞の世界観が評価され、日本語詞を進化させたと言われている。その進化によって生まれたバンドからRADがさらに影響を受けて出来上がっている曲なのである。比喩的に言うならば、RADWIMPSが巻いた種が成長して出来た野菜を収穫して、RADが料理しに来たと言うこともできるのではないか。

 

「告白」と「独白」

このアルバムの最後の曲「告白」。Twitterなどを見ると結婚式でかけてほしいなどよく見る。けれども、これは最初に聴いたとき、これは智史のための曲なのでは?と感じた。そして、この普通とは異なるこの解釈が面白いと思っている。

君の未来に、僕の姿を 見るようになったのはいつからだったでしょう

 RADWIMPS 告白より歌詞の一部

RADのシュプレヒコールというシングルの中の「独白」という曲がある。この曲は、「ほぼ音がない状態で、洋次郎からメンバーひとりひとりとRADWIMPSというバンドに向けたラブレターだ。そんな一曲をかけて愛をメンバーに語るような洋次郎が、智史に曲を書いても不思議ではない。

そういう視点で歌詞を見てみると、RADWIMPSとしてよりも野田洋次郎個人としての山口智史への思いが強く感じ取れる。

ちなみに、このアルバムの最後にメンバーの記載にちゃんと4人載っている。そこからも、ただ演奏したいという目的で結成されたRADWIMPSが、バンドとしてだけでなく一つの運命共同体になっているという印象を受けた。 

 

『RADWIMPS5』をそろそろ出しても良いのでは?

ここまで曲を通じて、RADWIMPSの変化について考えてきた。このアルバムを聞いて思うのは、そろそろRADWIMPS5を出しても良い頃なのではないかと思う。RADWIMPS1~4という4つのアルバムが初期のアルバムであるが、今回のアルバムでは、ミドルテンポの「週刊少年ジャンプ」や全英詞の「Lights go out」などそれらアルバムの中の雰囲気を残しつつ新しい曲が多くある。

だからこそ、進化した状態で、RADWIMPS5を出してほしい。次のアルバムは是非そうなって欲しい。

 

人間開花(初回限定盤)(DVD付)

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アベンジャーズじゃない、新たなスーパーヒーロー映画とは?

2016年は映画が話題になることが多かった。「君の名は」や「シン・ゴジラ」がその2大巨塔であろう。ただ、興行収入を見ると圧倒的に「君の名は。」ブームである。未だに映画館が満席になっている。君の名は。シン・ゴジラについては過去に書いたので、それ以外でヒットした2016年公開映画について書く。

今回は、19世紀のアメリカ開拓時代を舞台としたレオナルド・ディカプリオ主演「レヴェナント:蘇りしもの」について、ネタバレなしで、今の大統領選挙も踏まえ書いていく。

 

 

とにかく死なない映画

この映画を1言で説明するなら、レオナルド・ディカプリオがとにかく死なない映画だ。

熊に襲われ、先住民に狙われ、吹雪におそわれ、裏切り者におそわれ、でも死なない。スーパーマンやバッドマン、スパイダーマンよりも圧倒的に過酷な状況でも死なない。笑ってしまうくらい強い人物として描かれている。

このレオ様の強さを印象づけているのは、圧倒的な映像と音楽だ。

まず、映像は、ライトをほぼ使わず、自然光の下で撮影されている。だからこそ、もちろん夜のシーンなどは暗くて見えづらい。しかし、そのシーンがあるからこそ、朝焼けはより鮮やかに映るし、吹雪での雪の白さは圧倒的な色味を出すのだ。

また、坂本龍一が手がけた音楽も主人公が陥った状況の残酷さを強めている。自然の生の音を邪魔しない音楽であり、風景からインスピレーションを受けて制作されたかのような完璧な音楽がさらに映画を彩っている。

 

悲劇のスター レオナルド・ディカプリオは、ヒーローになるのか?

主演のレオナルド・ディカプリオは、言うまでもなくアメリカのムービースターである。しかし、タイタニックアカデミー賞を取れず、本作で受賞するまで5度も逃している悲劇のスターでもある。

そんなムービースターを本作では、圧倒的敗北感のある世界へと突き落とした。それにより、彼をヒーローに昇華させることが出来た。彼だからこそ、悲劇がより悲劇的に見えるし、一度やられることでカウンター的な強さを強調することができる。

また、この作品の監督は「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」という作品も手がけており、こちらでもアカデミー賞を受賞している。こちらの作品は、昔、バードマンというスーパーヒーローを演じた落ち目の俳優にまつわる物語である。

これも考えると、本作は、アベンジャーズのようにヒーロー同士が決してつるまない、あたらしいスーパーヒーロー映画であるといえる。

 

「レヴェナント;蘇りしもの」とトランプ支持者

アメリカはかつて、スーパーマンスパイダーマンのような完全なる正義の味方を欲していた。しかし、ベトナム戦争イラク戦争などを経て本当に悪い人はいるのか?という疑問が国内では生まれてきた。

その結果、オバマという、ブッシュに比べるとヒーローっぽくない民衆よりの大統領が生まれたのだろう。

このレヴェナントという作品は、レオナルド・ディカプリオという誰しもが知っている俳優の悲劇の境遇と物語をリンクさせ、何にも屈しない強いスーパーヒーローを再びアメリカに戻そうという作品ではないだろうか?

だからこそ、この映画は、今の大統領選挙におけるトランプ支持を予期させるような流れに似ているのでは?と思う。

 

 

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Lineスタンプはアートになれるか

最近、アートで町おこしとしてアートフェスティバルが多く行われている。

有名なのは瀬戸内国際芸術祭や大地の芸術祭都心部で言えば、六本木アートナイトなどもこれにあたる。

けれども、アートというとなんだか敷居が高いイメージがある。今回は、少しだけアートとはなんだろうと考えていきたい。

 

うさまるはアート?

うさまるをご存知だろうか?よくLINEスタンプで目にする機会の多くなったうさぎというかなんというかゆるいキャラクターだ。

うさまる【シール付き】

うさまる【シール付き】

 

このうさまるはラインのスタンプとして知名度をあげた。 ラインのスタンプは、言葉を打たなくても気持ちを伝えることができる非言語のコミュニケーションツールだ。まず、このうさまるスタンプが人々のLINEでのコミュニケーションを助けていることは間違いない。

ただ、うさまるはスタンプに収まらず、いろいろな商品化やアニメ化などがなされた。そこで、コミュニケーションツールであったうさまるのラインスタンプは、今やうさまるというキャラクターが独立して商品になるまでに成長してきた。つまり、「道具」に人々が愛着を 持った結果、キャラクターに命が宿ったとも解釈できる。

では、うさまるはアートなのか?

例えば、うさまる現象をアートとして捉えて注釈をつけるなら、「非言語でのコミュニケーションツールであった絵が道具としてではなく、キャラクターとして認識されてきた。これによって日本人の世界観を浮き彫り出す存在になった。」と書かくことができるかもしれない。

ただ、自分でこんなタイトルを付けてあれだが、アートというくくりで考えるのはもはや意味が無いと思っている。その話を次はする。

 

アート=美術館に飾って額縁に入ってる?

アートと必ずセットになるのはそれを展示する美術館だ。趣味は美術館巡りなんて言うと、いかにも物静かでインテリな人というような印象を受ける。

けれども、美術館に展示されるだけがアートではない。例えば、Chim↑Pomというアーティストがいる。彼らは今、新宿歌舞伎町の取り壊しが決まっているビルで個展を開いている。この展示会の一番の魅力はこの展示会がビルの取り壊しとともに破壊されることだ。ビルと運命をともにする展示会とも言われている。

この歌舞伎町振興組合ビルは、かつての歌舞伎町を支えてきた振興組合のビルであった。けれども、きたる東京オリンピックや外国人観光客の誘致のために、歌舞伎町浄化計画というのが活発になってきている。例えば、歌舞伎町の真ん中にあるTOHOシネマズは最たる例だ。

本展示会のテーマは以下のように書いてある。

展覧会のテーマは「Scrap and Build」。「2020年東京オリンピックまでに」をスローガンに再開発が進む、現在の東京という都市の姿に迫ります。

また明日も観てくれるかな? | 〜So see you again tomorrow, too? 〜より

 

スクラップしてまた建てることが良いことなのか?けれどもいつかはスクラップしないと建てられない。そういうめんどくさい関係性を表現しているのがこの展示会である。

 

こういう展示を含めた展示会を開く姿勢もアートであると思う。現にこのChim↑Pomはイギリスのアート誌で「アジア太平洋地域で最も影響力ある40歳以下の40人」に選ばれている。つまり、アートという言葉の持つ難しそうなイメージを失くすために、うさまるだってChim↑Pomだってアートなのだ。

だから、アートに対して今カジュアルに接することができるアートフェスティバルは良い機会なのかなと思っている。

 

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The Mirrazは本当にオワコンバンドなのか?

The Mirrazのベストアルバム「BEST!BEST!BEST!」とミニアルバム「そして、愛してるE.P.」が発売された。ただ、連日投稿される彼らのLINEBLOGには、「売れたいけど売れてない」という悲痛な現実が書かれている。Voの畠山は、以前から「売れたい」と発言している。本当にミイラズがオワコンバンドになってしまったのかについて考える。

 

 

BEST! BEST! BEST!

BEST! BEST! BEST!

 

 

攻撃的だけじゃないMirrazらしさ

世間が考えるThe Mirrazらしさとは、攻撃的な歌詞と言葉数の多さだ。例えば、「check it out! check it out! check it out! check it out!」では以下の言葉から始まる。

あー曲が生まれないって出来たのがこの曲

決してパクリじゃございません

そんな裏話はロッキンオンで言えばいいって?

そうです僕はただの泥棒です

シャムネコチシャネコ泥棒猫

もうなんとでもお気に召すままにお呼びくださいませ

オラを馬鹿にするのはかまいません

でもファミリーへの罵声は許しません

この歌詞を見ると攻撃的であり、権力に噛み付くような印象を受ける。ただ、その攻撃性は本質ではないと思う。

The Mirrazの歌詞は、畠山自身の個人的な内容が多い。それこそがMirrazらしさだと思っている。先のcheck it outの歌詞は、読むだけで「あぁ、この人ムカついてるんだな」という事がわかる。この分かりこそが共感につながる。

 

話は変わるが、ある番組の公開収録の中で星野源が「共感はいらない」という話をしていた。「共感なんてしてほしくて書いてもらってるわけじゃないし、むしろ勝手にリスナーが共感してるだけだ。だからこそ、そういう共感に寄った歌詞は書きたくない」という話だった。ちなみに、今の世間的な星野源のイメージは、彼がわざとポップなキャラクターを演じて収入を得るプロ童貞のような立ち振舞をしているから成り立つものであるが、そこについてはまた後日書きたいと思う。

話を戻すと、The Mirrazの魅力は「個人的なことをありのままに歌っていること」であると考える。 

 

メジャーとか、インディーとか

バンドが売れてくると「ファンのために」と称して一般的なふわっとしたメッセージを言うバンドが多くなる。これがメジャー的なバンドとインディーズ的なバンドの違いだと思っている。これは、もはや陰謀論的に言われている「メジャーによる縛り」なのかもしれないがその辺は関係者でないので分からない。ここでミイラズのブログから引用すると、

ちなみにこの曲、最初の歌詞がメジャーからだとリリース出来ないって言われて変更しています。メジャーの歌詞の制限をかなり感じ始めました。まぁだいぶ攻めてたしね…。あと、歌詞が個人的すぎるからダメとかも言われたなぁ。うーん、ミイラズって個人的な歌詞が多いんだけどなーそれがなくなったらミイラズの意味ないんじゃ?と思いました。

The Mirraz 公式ブログ - ベストアルバム解説的な その2 - Powered by LINEより引用

 

個人的すぎるからダメというのは、ほぼミイラズの良さを去勢してしまっている事になっている。これにより、ミイラズはあまり個人的な歌詞を書くことができなくなり、なかなか良さを発揮することができなくなってきたのだ。その間に歌詞ではなく、音楽的アプローチを多く試みているが、リスナーは難しい音楽の話よりキャッチーなものに反応するため、なかなかこのアプローチはヒットには繋がらなかった。

 

ミイラズは今後どうなる?

そんな経緯を経て現在、ミイラズはメジャーから自主レーベルと言うかたちでインディーズ的な活動に戻った。そこで発表されたシングルがこれである。

そして、愛してる E.P.

そして、愛してる E.P.

 

 

本作は、ある意味今までのミイラズとは音楽性は異なる。が、歌詞はミイラズ特有の同じ言葉の繰り返し個人的内容が戻ってきているような印象がある。だからこそ、音楽性は変化し続けても、本質的な魅力は失われていないと考える。

だから、声を大にして言いたいのは、The Mirrazはオワコンバンドではない」ということだ。