2016年公開の映画まとめ(後半)
2016年は、映画が久々に話題になった年だろう。
今回後編として、「シン・ゴジラ」「君の名は。」「この世界の片隅に」というヒット作についてまとめてみる。
シン・ゴジラ
今年の2大映画と言えば、「シン・ゴジラ」と「君の名は。」であろう。
この「シン・ゴジラ」の魅力はさまざまな議論に耐えうることであろう。例えば、「震災映画としてのゴジラ」「防衛シミュレーションとしてのゴジラ」「特撮映画としてのゴジラ」「日本映画としてのゴジラ」などなど。
庵野秀明の過去の作品もそうだ。「エヴァ」や実写映画である「監督失格」などを含め、さまざまな議論を呼ぶ。
「エヴァ」はTV版、旧劇、新劇場版などさまざまな展開が存在するにも関わらず、それぞれでかなりの数の解釈が存在する。
あまり有名ではないが、実写映画の「監督失格」は亡くなったAV女優のドキュメンタリーを当時、彼女と不倫していたAV監督が作成する過程を追った作品だ。その中で、「彼女が亡くなった」という現実と「ドキュメンタリー」というある意味虚構とも言えるものの構図をすでに示している。これが、「シン・ゴジラ」における「現実VS虚構」にもつながる話ではないか?と思える。
まだ、見ていない方は是非見ると、シンゴジラ並の衝撃を受けること間違いないです。
ちなみに、ユリイカという雑誌(正確にはムック)のシン・ゴジラ特集にもさまざまな専門家からの論評が書かれているので、オススメです。
君の名は。
「君の名は。」について、過去のブログを読むと分かると思うが、わりと悲観的に見ていた。それは、過去作のが優れているし、好きだという個人的な意見に起因している。
けれども、震災という切り口で「君の名は。」を語ることには有意義ではないか。
過去記事にも書いたが別の切り口で書くなら、この作品は今忘れ去ろうとしている震災を本当に忘れていた少年が、少女と会うことで少女を救うという個人的な目的のために震災を思い出すという話にも見える。
つまり、「震災」という大きなくくりで考えるよりも、「個人の物語」にしない限りは忘れてしまうし、真剣に考えることはないというとてもシニカルな映画なのではないか、とも思う。
この世界の片隅に
今年最後の重要作品である「この世界の片隅に」。クラウドファンディングによる映画制作により徐々に口コミにより現在も上映館を増やしつつある。
戦争アニメ映画として「火垂るの墓」がある。火垂るの墓は戦争の戦いを中心に描く作品である。それに引き換え、「この世界の片隅に」は、日常の中で戦争に徐々に突入していく様子を示している。その様子は今年公開の映画「帰ってきたヒトラー」にも通ずる物がある。
2016年という戦後70年になって、やっと戦争というものを「ひどい」「かわいそう」という感情論ではなく、日常から忍び寄るものだという作品が注目を集め、描かれ始めてきた気がする。それだけでも、この映画には価値があるものなのではないかと思う。
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2016年まとめ
以上、今年見た映画をパっとまとめてみました。もちろん見れていない映画や過去作もさまざま名作がある。ただ、今年公開の映画を今年見るということは、その作品だけでなく、見た人の反応などに時代性を把握するのにものすごく重要なことだと思っている。
今、他の人が、何を、考えているのか?
それが分かることが映画館でやっている映画を今年見ることの意義ではないかと思う。
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2016年公開の映画まとめ(前半)
2016年は映画やドラマ、アニメが盛り上がった年と言える。
それは「君の名は。」のようなアニメから、特撮の「シン・ゴジラ」、ドキュメンタリーの「FAKE」などジャンルなど関係ないかのようにヒットが連発した。
公開となった映画について、年代順に振り返ってみる。
レヴェナント:蘇りし者
レオナルドディカプリオがやっとアカデミー賞を取れた作品である。
この作品は、レオ様がここまでやらないと行けないのかというくらい悲惨な状況になるが、屈強な肉体がそれを乗り越えるというアメリカ的な強さが描かれている。
これは、今年の大事件であるトランプ大統領爆誕と大きく関係がある。詳細は以下の過去記事を参考に。
また、来年以降、トランプ自体が新たなスーパーヒーローになれるのか、それともマッチョなスーパーマンにしかなれないのか、というのは注目どころだ。
ズートピア
本作は、動物世界の多様性を比喩的に見せることで、人間社会多様性の訴える作品である。
けれども、ここで注目したいのは、ストーリーよりもディズニーという子供向けのアニメを作っていた会社が、本作では明らかに大人を意識した作品を作ってきた。
先進国が高齢化社会と言われる中で、子供向けの作品を作るよりも大人向けのビジネスに転換するのは当然の流れである。これは、スター・ウォーズというコンテンツをディズニーが買ったことにもつながる。
子どもにはキャラクターが可愛ければストーリーとかどうでもいいでしょ?というような思考が見えるような気もするが、ディズニーは今後この路線で行くのか、来年以降も注視していきたい。
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リップヴァンウィンクルの花嫁
本作は岩井俊二監督最新作である。
岩井監督といえば、少女漫画的な映画だと言われる事が多い。
本作でも女性同士の友情とも恋愛とも見れるような世界観が繰り広げられる。
深夜アニメなどで取り上げられる百合要素は、どちらかと言えば男性視聴者向けのご褒美的意味合いが強い。けれども、本作の二人の関係は同性間の友情の延長として恋愛関係に至る。
ただ、この作品の一番の魅力は「恋愛のようなもの」に徹するところであり、あいまいな関係こそが儚く美しいという感覚がずっとある。
同じく、 今年は「キャロル」や「リリーの全て」など同じくLGBTについて扱った作品があるので、本作と見比べるのも面白いだろう。
帰ってきたヒトラー
「もしヒトラーが現代に復活したら?」というフィクションと、実際に街頭インタビューやネオナチへのインタビューというドキュメント的な側面を持つ作品だ。
本作は原作の小説を元に映画化されたものだが、単に作品をそのままなぞって映像化するだけではない。
小説の主張を強めるためにドキュメント部分が存在し、新しい小説の映像化の可能性を見られる作品でもある。
また、過去にも少しだけ違う観点から書いたので参考までに。
FAKE
こちらはオウム真理教やミゼットプロレスなどタブーと言われるものを撮り続けてきた森達也監督の最新作である。被写体は、世間を賑わせた佐村河内守。
佐村河内守への密着が元になっているが、果たしてドキュメントとは相手の気持を考えて、相手を支援するような映像を撮るものなのか、はたまた相手を非難する映像を撮るものなのか、という疑問を投げかける作品でもある。
「中立な報道」という言葉はこの映画を見た後では決して言えなくなる。
後半は、「シンゴジラ」「君の名は。」「インフェルノ」「この世界の片隅に」について書きます(予定)
RADWIMPS「人間開花」レビュー
11月23日、RADWIMPSのニューアルバム人間開花が発売された。RADWIMPSを取り巻く環境には様々な変化があった。ドラムの山口智史の病気療養が最も大きな変化だろう。それを経たニューアルバムについて書いていく。
「前前前世[original ver.]」とBUMP OF CHICKEN
まず、「前前前世」について語らないと始まらないだろう。「君の名は。」の挿入歌として知らない人はいないくらい有名な曲になったわけだが、このアルバムにはオリジナルバージョンが収録されている。
映画バージョンとの違いは、オリジナルの方が歌詞が追加されている。この文章がとてもRADWIMPSとはどんなバンドかを象徴している。
君以外の武器は、他にいらないんだ。
RADWIMPS 前前前世[original ver.]より歌詞の一部
ここで分かりやすくBUMP OF CHICKENと比較してみる。BUMPは、ボクが不特定多数のキミの側にラフメーカーとして行ってあげるからドアを開けて!というバンドだ。
それに対して、RADは、総理大臣になったらキミ(彼氏or彼女)の誕生日を祝日にしようと歌うバンドなのだ。
つまり、極端に言えば、例えみんな滅びたとしても、ボクとキミの世界が一瞬でもあれば他はいらないという世界観を描いてきたのがRADWIMPSなのだ。このような考え方をよくセカイ系という言葉で呼んだりする。
このRADWIMPSのエゴとも言える歌詞の部分が映画バージョンでは削除されている。それはこの「君の名は。」という映画が、みんなを救うための映画だからだ。だからこそ、ボクとキミだけが残る世界観が強くなりすぎるこの歌詞は合わなかったのだ。
「アメノヒニキク」とサカナクション
RADWIMPSは「君の名は。」の劇伴を作成する中で、新海誠監督から見たRADWIMPSっぽさに触れたという話をインタビューでしている。それは今回のアルバムにも大きく反映している。
例えば、アルバム収録曲のアメノヒニキク。これは、今までのRADWIMPSではやり得なかったいくつもの手法が取り入れられている。
今日は灰色
今日は灰色
僕は水色の中に
RADWIMPS アメノヒニキクより歌詞の一部
その一つは歌詞の繰り返しだ。もちろん今までもあったが、何かしら同音異義語など音は同じでも意味の違いを生んできていた。しかし、今回はほぼ同じ単語を繰り返す。
それは、サカナクション的な手法とも言える。というか、この曲はとてもサカナクション的なのだ。だが、決してパクリではなく、サカナクションをRADWIMPSが取り入れたらこうなりますという曲になっている。それこそが、外から見たRADWIMPSを意識して、他と掛け算するというプロデューサー的な視点を野田洋次郎が持ったことで生まれた曲なのではないか。
RADWIMPSは歌詞の世界観が評価され、日本語詞を進化させたと言われている。その進化によって生まれたバンドからRADがさらに影響を受けて出来上がっている曲なのである。比喩的に言うならば、RADWIMPSが巻いた種が成長して出来た野菜を収穫して、RADが料理しに来たと言うこともできるのではないか。
「告白」と「独白」
このアルバムの最後の曲「告白」。Twitterなどを見ると結婚式でかけてほしいなどよく見る。けれども、これは最初に聴いたとき、これは智史のための曲なのでは?と感じた。そして、この普通とは異なるこの解釈が面白いと思っている。
君の未来に、僕の姿を 見るようになったのはいつからだったでしょう
RADWIMPS 告白より歌詞の一部
RADのシュプレヒコールというシングルの中の「独白」という曲がある。この曲は、「ほぼ音がない状態で、洋次郎からメンバーひとりひとりとRADWIMPSというバンドに向けたラブレターだ。そんな一曲をかけて愛をメンバーに語るような洋次郎が、智史に曲を書いても不思議ではない。
そういう視点で歌詞を見てみると、RADWIMPSとしてよりも野田洋次郎個人としての山口智史への思いが強く感じ取れる。
ちなみに、このアルバムの最後にメンバーの記載にちゃんと4人載っている。そこからも、ただ演奏したいという目的で結成されたRADWIMPSが、バンドとしてだけでなく一つの運命共同体になっているという印象を受けた。
『RADWIMPS5』をそろそろ出しても良いのでは?
ここまで曲を通じて、RADWIMPSの変化について考えてきた。このアルバムを聞いて思うのは、そろそろRADWIMPS5を出しても良い頃なのではないかと思う。RADWIMPS1~4という4つのアルバムが初期のアルバムであるが、今回のアルバムでは、ミドルテンポの「週刊少年ジャンプ」や全英詞の「Lights go out」などそれらアルバムの中の雰囲気を残しつつ新しい曲が多くある。
だからこそ、進化した状態で、RADWIMPS5を出してほしい。次のアルバムは是非そうなって欲しい。
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アベンジャーズじゃない、新たなスーパーヒーロー映画とは?
2016年は映画が話題になることが多かった。「君の名は」や「シン・ゴジラ」がその2大巨塔であろう。ただ、興行収入を見ると圧倒的に「君の名は。」ブームである。未だに映画館が満席になっている。君の名は。とシン・ゴジラについては過去に書いたので、それ以外でヒットした2016年公開映画について書く。
今回は、19世紀のアメリカ開拓時代を舞台としたレオナルド・ディカプリオ主演「レヴェナント:蘇りしもの」について、ネタバレなしで、今の大統領選挙も踏まえ書いていく。
とにかく死なない映画
この映画を1言で説明するなら、レオナルド・ディカプリオがとにかく死なない映画だ。
熊に襲われ、先住民に狙われ、吹雪におそわれ、裏切り者におそわれ、でも死なない。スーパーマンやバッドマン、スパイダーマンよりも圧倒的に過酷な状況でも死なない。笑ってしまうくらい強い人物として描かれている。
このレオ様の強さを印象づけているのは、圧倒的な映像と音楽だ。
まず、映像は、ライトをほぼ使わず、自然光の下で撮影されている。だからこそ、もちろん夜のシーンなどは暗くて見えづらい。しかし、そのシーンがあるからこそ、朝焼けはより鮮やかに映るし、吹雪での雪の白さは圧倒的な色味を出すのだ。
また、坂本龍一が手がけた音楽も主人公が陥った状況の残酷さを強めている。自然の生の音を邪魔しない音楽であり、風景からインスピレーションを受けて制作されたかのような完璧な音楽がさらに映画を彩っている。
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悲劇のスター レオナルド・ディカプリオは、ヒーローになるのか?
主演のレオナルド・ディカプリオは、言うまでもなくアメリカのムービースターである。しかし、タイタニックでアカデミー賞を取れず、本作で受賞するまで5度も逃している悲劇のスターでもある。
そんなムービースターを本作では、圧倒的敗北感のある世界へと突き落とした。それにより、彼をヒーローに昇華させることが出来た。彼だからこそ、悲劇がより悲劇的に見えるし、一度やられることでカウンター的な強さを強調することができる。
また、この作品の監督は「バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)」という作品も手がけており、こちらでもアカデミー賞を受賞している。こちらの作品は、昔、バードマンというスーパーヒーローを演じた落ち目の俳優にまつわる物語である。
これも考えると、本作は、アベンジャーズのようにヒーロー同士が決してつるまない、あたらしいスーパーヒーロー映画であるといえる。
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「レヴェナント;蘇りしもの」とトランプ支持者
アメリカはかつて、スーパーマンやスパイダーマンのような完全なる正義の味方を欲していた。しかし、ベトナム戦争やイラク戦争などを経て本当に悪い人はいるのか?という疑問が国内では生まれてきた。
その結果、オバマという、ブッシュに比べるとヒーローっぽくない民衆よりの大統領が生まれたのだろう。
このレヴェナントという作品は、レオナルド・ディカプリオという誰しもが知っている俳優の悲劇の境遇と物語をリンクさせ、何にも屈しない強いスーパーヒーローを再びアメリカに戻そうという作品ではないだろうか?
だからこそ、この映画は、今の大統領選挙におけるトランプ支持を予期させるような流れに似ているのでは?と思う。
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Lineスタンプはアートになれるか
最近、アートで町おこしとしてアートフェスティバルが多く行われている。
有名なのは瀬戸内国際芸術祭や大地の芸術祭。都心部で言えば、六本木アートナイトなどもこれにあたる。
けれども、アートというとなんだか敷居が高いイメージがある。今回は、少しだけアートとはなんだろうと考えていきたい。
うさまるはアート?
うさまるをご存知だろうか?よくLINEスタンプで目にする機会の多くなったうさぎというかなんというかゆるいキャラクターだ。
このうさまるはラインのスタンプとして知名度をあげた。 ラインのスタンプは、言葉を打たなくても気持ちを伝えることができる非言語のコミュニケーションツールだ。まず、このうさまるスタンプが人々のLINEでのコミュニケーションを助けていることは間違いない。
ただ、うさまるはスタンプに収まらず、いろいろな商品化やアニメ化などがなされた。そこで、コミュニケーションツールであったうさまるのラインスタンプは、今やうさまるというキャラクターが独立して商品になるまでに成長してきた。つまり、「道具」に人々が愛着を 持った結果、キャラクターに命が宿ったとも解釈できる。
では、うさまるはアートなのか?
例えば、うさまる現象をアートとして捉えて注釈をつけるなら、「非言語でのコミュニケーションツールであった絵が道具としてではなく、キャラクターとして認識されてきた。これによって日本人の世界観を浮き彫り出す存在になった。」と書かくことができるかもしれない。
ただ、自分でこんなタイトルを付けてあれだが、アートというくくりで考えるのはもはや意味が無いと思っている。その話を次はする。
アート=美術館に飾って額縁に入ってる?
アートと必ずセットになるのはそれを展示する美術館だ。趣味は美術館巡りなんて言うと、いかにも物静かでインテリな人というような印象を受ける。
けれども、美術館に展示されるだけがアートではない。例えば、Chim↑Pomというアーティストがいる。彼らは今、新宿歌舞伎町の取り壊しが決まっているビルで個展を開いている。この展示会の一番の魅力はこの展示会がビルの取り壊しとともに破壊されることだ。ビルと運命をともにする展示会とも言われている。
この歌舞伎町振興組合ビルは、かつての歌舞伎町を支えてきた振興組合のビルであった。けれども、きたる東京オリンピックや外国人観光客の誘致のために、歌舞伎町浄化計画というのが活発になってきている。例えば、歌舞伎町の真ん中にあるTOHOシネマズは最たる例だ。
本展示会のテーマは以下のように書いてある。
展覧会のテーマは「Scrap and Build」。「2020年東京オリンピックまでに」をスローガンに再開発が進む、現在の東京という都市の姿に迫ります。
また明日も観てくれるかな? | 〜So see you again tomorrow, too? 〜より
スクラップしてまた建てることが良いことなのか?けれどもいつかはスクラップしないと建てられない。そういうめんどくさい関係性を表現しているのがこの展示会である。
こういう展示を含めた展示会を開く姿勢もアートであると思う。現にこのChim↑Pomはイギリスのアート誌で「アジア太平洋地域で最も影響力ある40歳以下の40人」に選ばれている。つまり、アートという言葉の持つ難しそうなイメージを失くすために、うさまるだってChim↑Pomだってアートなのだ。
だから、アートに対して今カジュアルに接することができるアートフェスティバルは良い機会なのかなと思っている。
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